米国においては,自己決定という行為を育てるために,Assertive trainingといった,きちんと相手に自分の意志を伝えることの出来る力を要求する教育が,子どもの頃から当たり前のように実施されています。この点からすると自己決定から自立という考え方は,米国のライフスタイルに合致した考え方であるとも言えます。米国に限らず,個人の意志を尊重する国においては,自己決定は受け入れられやすいと考えられます。
それに対し,相手の気持ちを思いやって行動することが美徳とされ,集団の意志を尊重し,個人はそれに同調することを求められる傾向の強いわが国において,AACの考え方そのものは,受け入れにくいもののようにも思えます。しかし,自己決定するしないにかかわらず,最低限の主張の出来る能力を人間誰もが持つべきだという点は,文化を越えて存在すると考えます。
あまり自己主張が得意でない人にとっては,自己決定,中でも,能動的・積極的な行動が期待されうる場面でのそれは,負担以外の何物でもないかもしれません。
極端に自己決定を求めていくと,AACの思想も強者のみが自立できる論理になる可能性があります。個人の個性を無視して能動性を引き出す試みの怖さを我々は,十分認識する必要があるかもしれません。
自立=能動的・積極的といったイメージを多くの人が抱いているため,内側に引きこもるように見える行動はネガティブな行動ととらえられがちです。例えば,自分の意志決定で休憩を選んだとしても,それは,むしろ消極的と評価されてしまうかもしれません。
障害を持つ人々の能動的・積極的な行動を保障する道具だては行われていても,余暇・休息といった側面は軽視されてきたように思います。
ヨーロッパの一部の国々では,感覚ルーム(Sensory Room)と呼ばれる感覚セラピーのための部屋が学校・施設等に設置されていますが,そこはまた,各自に快適な環境を作り出し,リラックスするための場所としても利用されています。能動性を重視するという視点よりも,様々な行動を自分のコントロール下に置く(Self-control)という視点こそ大切であるように思われます。