コミュニケーション同様,支援技術(AT)に関しても,その情報の広がりに比して,十分活用されているとは言い難いのが現状です。
多くの人が,テクノロジーに依存すれば,人間が本来持つ機能が衰えると考えるでしょう。それは一面においては事実かもしれませんが,障害を持つ人たちの電動車イスやコミュニケーションエイドの利用においては,意欲の増加など心理面でプラスの効果が得られると多くの研究者が報告しています。
テクノロジーに頼るか頼らないかの二者択一論議はどちらの主張も一理あり,いつまでたっても平行線であるに違いありません。そんな中,テクノロジーと残存機能を使い分けて生きていくことが最も合理的であると言われています。言葉の不明瞭な人がいつも話す人と会話できるからと言って,初対面の人に同じように言ったことが通じるわけではありません。ですから知らない人との会話については消極的な人がいます。杖をついて歩ける人が歩けるからといって,4キロ先まで歩いていけるとは限りません。そのため,長距離の外出は他人に頼らざるをえない人もいます。こんな時こそ,コミュニケーションエイドや電動車イスがあれば,それらを状況によって使い分ければ生活がどんなに広がるでしょうか?
個々の機器の情報を得られても,それを生活の中で活用できるかどうかは別問題と考えられます。言語障害があるからコミュニケーションエイドを購入したという人が,必ずしもそれを活用しているわけではありません。その人にコミュニケーションのニーズがあるか,また,その場があるかということがポイントになります。
先日,テレビ電話を視覚障害の生活支援に役立てるというある雑誌記事を目にしたとき,どうやって目の見えない人たちがテレビ電話を利用するのか全く想像できませんでした。ところが,自分の服装や化粧をテレビ電話で相手に見てもらって相談する,届いた速達を電話をかけて読んでもらうといった利用を知り,その発想に驚き,感心しました。これは,自分の見えないものを相手に尋ねることは出来ないかというニーズからスタートすることで得られた解決策(ソリューション)であり,視覚障害という視点からスタートしたなら決して到達できなかったものかもしれません。
もう1つ,ソリューションを考える上で,以下の考え方が非常に参考になります。障害があっても障害が無い人と同じことを試みることは大切な事ですが,同じようなやり方にこだわってはなかなかそれを実現出来ないという点です。例えば,四肢マヒの人が障害の無い人と同じように調理しようという気持ちを抱くことは自然なことですが,それを障害の無い人と同じように包丁を握ってと考えると,無理だと断念せざるをえません。ところが,電動の調理カッターやミキサーを使って調理の一部に参加するということは可能です。ATはこういった形でソリューションに貢献します。
世界中で多くの人たちが困った問題に直面し,それぞれのソリューションを持っているはずです。こういった問題へのソリューションをいかに蓄積していくかがAT活用の鍵になっていくに違いありません。